NTTファシリティーズ 川口様に聞いてみた ブログリレー#7

NTTファシリティーズ 川口様に聞いてみた ブログリレー#7

Profile

川口 晋(かわぐち すすむ)

株式会社NTTファシリティーズ データセンタービジネス本部 本部長

日本データセンター協会(JDCC) 理事

日本データセンター業界のキーマンの方々に「若手への思い」を語っていただくブログリレーです。
7回目は株式会社NTTファシリティーズ 川口様に伺いました。

 

データセンターと関わり始めたきっかけは中国でのコンサルティング事業

– DC業界のキーマンの方々にインタビューさせていただいております。最初に川口様ご自身が建築の道に進まれたきっかけを教えてください。

大学受験の時には、理系ということ以外特に進路を決めていなかった。それで大学ごとに異なる学科を選んで受験した。早稲田大学の建築学科にはデッサンの試験があって、それなりに絵が描けるつもりでいたので早稲田は建築を受けてみることにした。それが建築に進んだきっかけ。

 

早稲田大学建築学科卒業後、NTTを就職先に選ばれた動機を教えてください。

学生時代は物理や力学が好きで、建築学科の中で専門を選ぶ際に構造を専攻した。大学4年生の頃にチェルノブイリ原発事故が起きたのだが、私の卒業論文のテーマが「原子炉と地盤の相互解析」だったため、原子力発電の問題に人一倍関心を持つようになった。同じ研究室の同期らとこの問題について議論を交わすうち、将来に禍根を残す原子力発電には反対する思いを固めた。そのため、就職先には原発を扱わない会社を選ぼうと考え、通信会社であるNTTに就職した。日本の情報通信インフラを支える会社で、自分の専門の構造が活かせると思ったことも動機だった。

 

ちょうどバブル崩壊時期に入社されたのですが、心境の変化はあったのでしょうか。

学生目線としては、バブルというのは直接感じてはいなかった。入社してしばらくは仕事を覚えることの方が忙しく、バブルを意識することもなかった。そのうち、報道や経済評論でバブル崩壊が語られるようになり、客観的に「ああ弾けたんだな」、という程度の印象しかなかった。

 

–NTTで、データセンターに関わり始めたきっかけを教えてください。

1990年に入社して12年間NTTで構造設計していたが、当時は社外の委員会活動も積極的にやっていた。建築鉄骨溶接技能者のAW検定協議会の検定委員を務め、また、日本免震構造協会では免震技術を広めるために資格試験を作り、その指導講師などもしていた。その頃の自分は、構造設計の道を行くものだとばかり思っていた。ところが、2002年に会社が北京に駐在員事務所を開設することになり、ある日突然私が所長として赴任するよう命ぜられた。青天の霹靂だった。赴任後、中国で何がビジネスになるかをさまざま検討していた時に、中国の銀行から電算センターを作るためのコンサルティングの要請があり、これを受けたのが始まりだった。当時の中国はまだデータセンターに関する知見が乏しかったので、日本で実績を積んでいる当社の設計ノウハウが求められた。また、NTTコミュニケーションズが中国の通信キャリアと合併会社を持っていたので、NTTファシリティーズが設備の、NTTコミュニケーションズが運用のコンサルティングをそれぞれ担当する形で両社が連携して、中国の通信キャリアのデータセンター構築コンサルを実施するようになった。結局、2008年までの6年間北京に駐在したが、中国企業からの引き合いが最も多かったのがデータセンター関連の仕事だった。

 

– 1990年から2002年まではデータセンターと関わりは無かったのでしょうか。

その間、NTTグループの中ではドコモが分社化し、その通信用ノードビルの建設が目白押しだったので、こうした案件の構造設計には多く関わっていたが、いわゆるデータセンターを設計したことはなかった。

 

データセンターと関わる前と後のギャップはございましたか。

特になかった。入社以来、通信ビルに関わってきたおかげで、ギャップは感じなかった。情報通信インフラとしてのデータセンターに携わることは、入社動機にも合致しており、何の違和感もなかった。

 

中国は貪欲に知識を吸収して、スピードがすごく早い

中国と日本との働き方の違いを教えてください。

多くある。まず、島国と大陸の文化が根本的に異なっている。日本のように国土の狭い島国では、隣の人と肘がぶつからないように気を配り合う「和」の文化が育まれる。一方、中国のように広大な土地を生き抜かなければならない大陸では、周りよりも自分を第一に考えるようになる。だからこそ中国では、自分に直接つながる血縁や身内にを大切にする意識が強い。ビジネス上の関係でも、本当に信じられる人を見極めてから、共に仕事をするというような面がある。また、中国企業では、経営者も含めて日本企業より若い世代がリーダーを務めていることが多く、意思決定のスピードがとにかく早い。

 

データセンターでも言えることでしょうか。

まさに言える。当時彼らには知見やノウハウがなかったが、海外の企業からそれらを日々貪欲に吸収し、今では日本を追い抜いたような案件を実現している。ITの普及で言えば、田舎の八百屋でもキャベツ1個を買うためにスマホで電子決済するようになっている。そういった面では日本ではまだ普及率が低い。人口が日本の10倍以上いる国で、さまざまな分野でIT化が急速に進められているので、日本が追い抜かれるのは当たり前だったと今では思う。またICT機器などの標準化スピードも早く、データセンターも日本の数倍以上の数を建てている。そして、いち早くアグレッシブにサービスを作る。日本より強いマインドを感じさせる若手に接する機会が数多くあった。

 

– TVや記事などのメディアを見ると、中国は国そのものが情報操作しているイメージはあります。ナショナルセキュリティ的にも当時国からの圧力とかはあったのでしょうか。

当社が行なっていた事業は、あくまでデータセンターのファシリティに関する構築コンサルティングだったので、彼らからしたらむしろウェルカムだった。ノウハウを吸収したいフェーズだったので、そういったことは全く無かった。彼らとして、当時の目的を達成したからこその現在があるのだと思う。

 

日本のデータセンターは「コモディティ化」と「サービスの多様化」へ

中国以外にも目を向けてみたいと思います。AmazonGoogleなどのメガクラウドを含めて、日本データセンター業界はどのように変化するのでしょうか。

矛盾して聞こえるかもしれないが、2つの視点がある。1つの流れは「コモディティ化」や「オープン化」。データセンターそのものが特別なものでなくなり、誰でも同じ品質のものを構築・運用できるようになること。かつて日本電信電話公社の民営化と同時に、通信の自由化が実施され、それ以降通信キャリア各社でさまざまな通信サービスが作られてきた。繋ぐだけの事業領域だったものに、各キャリアがサービスとして付加価値を付けてきた。現在、データセンターも当たり前の社会インフラとなり、グローバルに見れば「コモディティ化」と「オープン化」が進んでいる。そのような状況だからこそ、2つ目の観点が必要になる。それが、サービスの多様化だ。デジタルトランスフォーメンションが進展する社会で、そのサービスの需要に合わせてデータセンターは差別化していける。実際にサービスを社会に提供するのはデータセンターのユーザーなので、データセンターはユーザーごとに最適な環境を提供することで付加価値を出すことが重要になってくる。

 

– 設備に関しては、メーカーの対応はまだブラックボックスの部分が残ります。海外のOCPなどのオープン化の流れに対して、日本のメーカーは海外に追いつけなくなるのではないでしょうか。

データセンター事業者は、自社のサービスのために設備を選び構築している。メーカーも、サービスの変化やユーザーの要求に応えずに、既得権を守っているばかりでは、競争力を失うだろう。ファシリティ領域はITに比べて、まだまだ変化が少ない。空調はラック当たりの発熱量に合わせた変化を迫られてきたが、電源については容量が増えるにつれてフットプリントも増やすような対応に留まっており、こうした点に着目した商品開発も競争力向上につながるだろう。

 

トレンドとして、今後は水冷空調が主流になるのでしょうか?

データセンターが提供するサービスで、空調方式は選ばれるようになる。サービスが必要とするサーバ機器の発熱密度がラック4〜6kVAの電力容量であれば、今までのパッケージエアコンも合理的な選択肢だし、実際にそれで間に合う用途はなくならないだろう。一方、今後はGPUサーバなどこれまで以上に大きな演算能力を必要とするサービスが増えていくことも確かで、水冷空調だけでは間に合わないラック30kVA程度の発熱に対して、液冷やリアドアといった冷却方式を採用する必要も出てくる。

 

では今後サーバからの発熱量の増加によって、液冷は普及されると考えて良いでしょうか。

液冷が特別な技術でなくなる方向には進むと思う。ただ、それが面的に普及するかといえば、一概に言えない。繰り返しになるが、冷却方式はデータセンターが提供するサービスで決まるので、その動向次第ということになると思う。

 

日本でも今後データセンターの建築ラッシュが始まるのでしょうか。

デジタルトランスフォーメーション時代を支える社会インフラとして、その需要はますます高まっているが、受電容量も含めた建設用地が潤沢にはないのが現状。一方で、データセンターは投資対象として儲かる、と考え始めている投資家が増えている。データセンターは土地に対しての投資額が大きい分、採算性も高い。投資家や不動産関係者がデータセンターのことを勉強し始めているので、その方面からの動きも今後出てくるだろう。

 

自信となる「強み」を持つこと

データセンターの人材面について質問させてください。データセンターの現場には、ご年配の方と若手と両極端な世代に分かれることがあります。バックボーンが違う人たちをマネジメントする際に意識していることはございますか。

強く意識することはない。そもそも組織にはミッション・使命がある。それをマネージメント層が共有し、みんながそのミッション・使命に対して、何ができるのかを一緒に考える場を作る。こうしなきゃいけないということを統一するのではなく、何のためにやるかを共有してみんなが同じ方向を向くようになることが大事。

 

データセンター業界は若手が少なく、保守的な考え方を持つ人が多いように思っています。

若手の皆さんは自分の「強み」、自信となるものを早い段階で持つべきだ。とにかく何でもいいので、これなら負けないぞ!というものを一つ持つこと。その「強み」は会社の業務だけではなく、データセンター業界でも発揮できるように引き上げていく。終身雇用が当たり前の社会ではなくなっていくので、皆さんがステップアップしていくためにも、何を自分の「強み」にするのか考えてほしい。

 

「強み」は若手への足りないことでもあるのでしょうか。

若手だから足りない、ということではない。年配の人に接しても、経験を「強み」として蓄えてきている人と、そうでもない人との差を感じるはずだ。若手のみなさんにも「強み」を身につける意識を持ってほしい。

 

それは業界の若手のみなさんへの期待していることでもあるのでしょうか。

その通り。混沌としたこの世界でみなさん自身がハッピーになるために、活き活きと働いてほしいと考えている。業界で働く若手のみなさんがハッピーでないと、業界が暗くなってしまう。

 

自発的に活動して、ハッピーを掴み取ろう

川口さん自身が幸せになるために心がけていることはございますか。

大きな意味で、情報通信社会のインフラを支えるというNTT入社当時からのイメージ通りの仕事をやれている。目の前にあることにしっかり取り組んで結果を出すということの積み重ねがやりがいであるし、それがハッピーだと思う。

 

川口さん自身が若手の時はいかがでしたか。

入社3年目、子会社のシステム技術部に出向して、当時大型電算機センターで動いていた構造解析プログラムをワークステーションに移植して併せてGUIを一から作るという仕事を任されることになった。それを要件定義からシステム設計、コーディング、マニュアル作成に至るまで、外部に委託することなく全て自分でやり遂げて納品したことが大きな自信につながった。その自信が、それ以降に担当した別の難しい仕事や前例のない仕事に取り組む際の原動力になったのは間違いがないと思う。

 

最後にデータセンター業界に働く若手へのメッセージをください。

自由にやりたいようにやればいい。フューチャーセンターのような活動に参加し、自分ができること、やれることの幅を広げたほうが絶対に楽しくなる。そして貪欲に吸収して「強み」を見つけていくことで、視野も広くなって更に次のステージで活躍できるようになっていく。これはデータセンター業界だけではなく、どこでも言えること。今も昔も世の中は常に変化している。アンテナを高くして自発的にいろいろ動いた先にチャンスは待ってくれているものだと思う。

・テキスト
さくらインターネット株式会社 高峯 誠
・インタビュアー
三菱電機インフォメーションネットワーク株式会社 相澤 祐太、株式会社NTTファシリティーズ 狭間 俊朗

Director